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日语等级考试N1必做阅读练习(4)

分类: 日语  时间: 2019-01-18 10:55:02  作者: 全国等级考试资料网 

死体ははたしてだれのものか。

自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実际に自分で主张することはできない。

法的には、そこはどうなっているのか.それを私は、実は知らないのである。职业柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、无论常识的には、死体は、遗族のものである。

しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遗族というのは、しばしば単数ではない。遗産相続の场合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずであるか。そんな议论は、闻いたこともない。

こういう议论自体が不谨慎だ.ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不谨慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影响を恐れる。こういった、かならずしも明确に定义できない常识が、死体にかかわる多くの问题の背景となっているからである。

こうした常识を考え、それと戦うことは?决して容易ではない?私は死体を扱うのが仕事だから?そうはいっても、それを考えざるをえない。したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。

こうした漠然とした常识.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない.私の仕事は、いつの间にか、そういう方向を向かいてしまった。

遗族だって、决して明了ではない。しばしば复数の遗族が出现することがあるからである.东京に住んでいる遗族が亲の解剖を承诺したが、田舎から出てきた遗族がそれに反対する.こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは闻いてなかった、実は反対だ」という亲族が现れる.これは、われわれがいちばん困惑するケースである。

事前に十分に调べろといったって、よその家族の事情だから、それは困难である.解剖を承诺しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感谢している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご亲族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。

遗族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである.仕事の上だから、别にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。

注1遗族:死んだ人の家族や亲类

注2遗産:死んだ人が残した财産

问い1文中の1~7の问いに対する最も适当な答えはどれか.1,2,3,4から一つ选びなさい。

1、「自分」とはだれか。

1)死んだ人

2)死んだ人の亲

3)死んだ人の子供

4)解剖する医者

2、「もの」とは何か。  1)法律 2)権利 3)死体 4)职业

3、「怒られそうだが」とあるが、だれが怒られるのか。

1)死体 2)笔者 3)遗族 4)子供

4、「そんな议论」とは、何についての议论か。

1)死体を分けること

2)子供を分けること

3)遗族を分けること

4)家族を分けること

5、「それ」に含まれる内容として适当なものは、次のどれか。

1)明确に定义できない常识

2)自分の仕事のやり方

3)死体をめぐるトラブル

4)死ぬことの意味

6、「こうしたケース」とは、どんな场合か。

1)解剖を承诺した遗族に、感谢の言叶を言わなかったような场合

2)解剖が始まってから、解剖に反対の遗族が现れるような场合

3)「田舎のご亲族で、解剖に反対の方がおられませんか」と闻いた场合

4)遗族全员が解剖に反対している场合 7、「必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる」とあるが、文章中の何によって、それが「よくわかる」のか。

1)いぞくがしばしばたんすうでないこと

2)常识と日本文化には関系があること

3)遗族の意见を十分に调べるのが无理なこと

4)遗族に笔者が殴られたりすること

问い2この笔者の职业として、最も可能性の高いものは何か。

1)作家 2)弁护士 3)日本文化研究家 4)医者

问い3最近笔者は主にどんなことに関心を持っていると考えられるか。

1)死ぬ権利をめぐるさまざまな议论

2)遗産相続に関する常识

3)死体にかかわる常识の文化的背景

4)解剖技术の発展の歴史 问题2次の文章を読んで、後の问いに答えなさい.答えは、1,2,3,4から最も适当なものを一つ选びなさい

私の知っている寿司屋の若い主人は、なくなった彼の父亲を、いまだに尊敬している.死んだ肉亲のことは多くの场合、美化されるのが普通だから、彼の父亲追忆もそれではないかと闻いていたが、そのうち考えが変わっていた。

高校を出たときから彼は父亲にすしの握り方、饭の炊き方ーー寿司屋になるすべてを习った.父亲は彼の饭の炊き方が下手だとそれをひっくりかえすぐらい厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句は言えない。だがある日、たまりかねて「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」ときくと、「おれの子供だから辛く当たるんだ」と言い返されたという。

父亲が死に、一人前になって店をついで见ると、その辛く当たられた技术が役に立ち、なるほど、なるほどと彼は分かったそうである。

私はこの若い主人の话を闻くたびに羡ましいと心の底から思う。そこにはわれわれがある意味で理想とする父亲と子供の関系があるからである。

子供はその时、技术だけではなく父亲の生き方も学んでいく.自分の作る寿司に妥协しない父亲、饭の炊き方一つにも诚意を持ってやる父亲の生き方を技术と同时に习っていく。それが本来、父亲というものだ。

私がこの若主人を羡ましいと思ったのは、私には、自分の息子にそのような技术が教えられぬからだ。私は小説家だが、息子は别の道に进むに违いない.私が今日まで习得した小説を书く技术を彼に教えることはできない.今の多くの父亲も私と同じ酔うな悲しみをこどもにもっているにちがいない。自分が习得した技术を子供に教えられぬ悲しみ、あるいは教えるべき技术を持たない悲しみが心のどこかにあるに违いない.そして子供にとっても父亲はそれによって、自分が将来を生きる知恵を伝えてくれる师ではなく、ただけむったい存在か、友人のようなパパにすぎないのであろう。

せめてそれなら子供に自分の趣味を吹き込もう.ツリノ好きな父亲は子供にツリを、レコードの好きな父亲は子供にクラシックを、蔷薇作りの好きな父亲は花の作り方を子供に教えようと私は思うことがあるが。

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