日语二级考试复习:二级阅读练习(七)
阅读练习6
(1)
拝啓新緑の候皆様お変わりなくお过ごしのことと存じます。このたび、18年间住み惯れた北九州市より、京都の郊外に越してまいりました。近くにはまだ田园风景も残っており、散歩には最适なところでございます。京都にご旅行のせつはどうぞおたちよりくださいますよう。
敬具
5月6日
高桥年夫
山田 正雄様
问いこの手纸はどんな手纸か。
1招待状
2引越しの挨拶状
3お礼の手纸
4旅行先からの手纸
(2)
ポケットに本を一册入れて旅に出る、野原を歩く、町のどこかにすわって読む、というのはたのしいことだ。十代半ばだったが、一册の长编小説をしゃがんだままよんでしまったことがあり、目を上げたときに日の光がかわっていたことを思い出す。私にとって一つの幸福だった。
问い「日の光がかわっていた」というのはどんな意味を持っているか。
1知らないところに行った
2目が痛くなった
3远くまで歩いた
4长い时间がたった
(3)
ある雑志を眺めていたら、近顷の中学生や高校生の女の子は自分のことを仆と呼ぶと言う记事が载っていた。実は、私も自分のことを仆と呼ぶ一人だ。もう高校生でもないのにちょっと耻ずかしい。目上の人の前では注意深く、「私」または「あたし」を使ってはいるが、自分の言叶に热中してしまうと、つい「仆」と言ってしまい顔が赤くなる。
问いこの文章から、笔者について考えられることは次のどれか。
1男性である
2女性である
3中学生である
4高校生である
(4)
土曜日の午後、玄関のブザーが鸣った。妻も娘も台所で何かやっている。「出るよ」と声をかけた。ドアの向こうに邮便配达员が立っていた。「どなただったの。」台所から妻の声。「うん、小包だ。田舎のおばあちゃんからだ。」
问いだれがだれに「出るよ」と声をかけたのか。
1笔者が邮便配达员に
2妻が笔者に
3笔者が妻と娘に
4おばあちゃんが笔者に
(5)
生まれたばかりの赤ちゃんには、文化の违いや国籍による违いはみられない。日本で生まれた赤ちゃんも、アメリカで生まれた赤ちゃんも、アフリカやアジアの诸国で生まれた赤ちゃんも、最初はみんな同じである。たとえ、皮肤の色に违いがあったとしても、その行动様式に大きな违いは见られない。
(a)、その後数年たつとそれぞれの文化のなかで育った子供たちは、それぞれの文化に特徴的な様相を示すようになる。食事の仕方、睡眠のとり方、游び方といったことから、考え方にも违いが现れる。
问い(a)の中に入る言叶として、どれが最も适当か。
1しかしながら
2そういえば
3このように
4したがって
(6)
日本人が生の野菜を料理として食べるようになったのは、第二次世界大戦後のことで、そんなに昔のことではない。长い间、日本人が食べてきた野菜料理といえば、煮たり焼いたりしたものや、あるいは渍物であった。日本が开国し、明治时代になってから、肉食の习惯とともにいろいろな种类の野菜が入ってきた。それでも、そのころのサラダはジャガイモをゆでてつぶしたものが主で、今とはずいぶん违っていたようだ。
问い「そのころ」というのはいつごろのことか
1肉食の习惯が入ってくる前
2开国する前
3第二次世界大戦後になってから
4明治时代になってから
(7)
20歳以上の男女に朝の目覚め方について闻いたNHKの「生活时间意向调査」によれば、「目覚まし时计で起きる」が约2割、「自然に目を覚ます」が7割弱、「家の人に起こされる」が1割弱でした。とくに、女性の20代?30代では「目覚まし时计で起きる」人が多く、それぞれ4割强の人が目覚まし时计の爱好者という结果。同じ年代の男性の3割近くが「家の人に起こされる」のに対して、女性の场合はグッと少なく、20代でも8%、30代になるとわずか3%でした。
问い30代の女性で目覚まし时计で起きる人は何%ぐらいか。
1约40%2约30%3约20%4约3%
正解
(1)-2(2)-4 (3)-2
(4)-3(5)-1(6)-4(7)-1
次の文章を読んで、後の问に答えなさい。答えは、1?2?3?4から最も适当なものを一つ选びなさい。
これは、フランスで実际にあった话である。パリのある下町に、たいへん欲の深い肉屋がいた。毎日の食事や衣服を节约したり、女房にまでケチでとおした肉屋は、たいへんな财産をたくわえているというのでも有名だった。
ある日、その肉屋に、12歳ぐらいの女の子が肉を买いにやってきた。500フランの代金を払うというときになると、その女の子は「しまった。お金を忘れてきちゃった。おじさん、あとでお金持ってくるから、1これちょっと预かって」といって、もっていたバイァ£ンをその肉屋にわたしていった。彼は、何気なく、そのバイァ£ンを店の隅のほうに置いておいた。
さて、それから30分くらいすると、一人の老绅士が、肉を买いにやってきた。1キログラムの牛肉を买い、代金を支払って店を出ようとした时、その老绅士が?2店の隅にたてかけてあるバイァ£ンを见た。それを手にとって、じっくり见てから、大声でいった。
「このバイァ£ンはすばらしい。ストラディバリウスという世界的な名器だ。50万フランで买いたい。ぜひゆずってくれませんか」と热心に肉屋に頼むのだ。
だが、肉屋にしてみれば、自分のバイァ£ンではない。売るわけにはいかない。そこで、肉屋は、持ち主の女の子に话して自分が买い受けてからこの老绅士に売ろうと考え、「明日の9时にもう一度ここへ来てください。3お譲りしましょう」といって、その老绅士を帰した。
例の女の子は、すぐ戻ってきた。肉の代金を支払い、バイァ£ンを受け取って帰ろうとした。
「ねえ、そのバイァ£ン、4おじさんに売ってくれないかね。あまりよいバイァ£ンじゃないけれど、うちの子もバイァ£ンをこれから始めるので一つ欲しいんだよ」
女の子が、しぶしぶうってもよいと言う返事をしたとき、肉屋は「しめた。女の子をだました」と内心大喜びである。彼は5万フランでそのバイァ£ンを彼女から譲り受けることに、まんまと成功した。先ほどの绅士に、50万フランで売れば、45万フランの储けだ。彼が喜んだのも当然だ。肉屋は、その女の子をだまして悪いと思ったのか、先ほどの肉の代金を返してやった。彼の良心が、子供をだますことをよしとしなかったのであろう。
肉屋は、绅士のやってくるのを待った。だが、その老绅士は翌日の9时になっても5やってこなかった。老绅士と女の子による计画的なサギであったのである。
サギにあう人たちの中には、この肉屋のように、一攫千金を梦みる、けちな人、欲の深い人が多い。こどもをだまして、45万フラン储けようという“欲”が、物事を冷静に见る目を失わせてしまったのである。
注1欲:お金や物などを欲しがる気持ち
注2サギ:人をだまして、物やお金を手に入れること
问1①「これ」とは何か。
1500フラン
2买った肉
3バイァ£ン
4衣服
问2②「店の隅にたてかけてある」とあるが、だれがたてかけたのか。
1肉屋
2肉を买いに来た女の子
3老绅士
4肉屋の子
问3③「おゆずりしましょう」とあるが、だれがだれにゆずるのか。
1女の子が肉屋に
2肉屋が老绅士に
3女の子が老绅士に
4肉屋の子が老绅士に
问4④「おじさん」とはだれか。
1ストラデイバリウス
2肉屋
3女の子のおじさん
4老绅士
问5⑤「やってこなかった」とあるが、それはなぜか。
150万フランを用意できなかったから
2バイァ£ンが欲しくなくなったから
3肉屋からお金を手に入れたから
4ほかに用事ができたから
问6肉屋は、女の子にバイァ£ンの代金としていくら渡したか
150万フラン
245万フラン
35万500フラン
45万フラン
问7肉屋についてこの文章からわかることは何か
1お金を储けることがとても好きである。
2老人をだますことがとても好きである。
3子供をだますことがとても好きである。
4バイァ£ンを买うことがとても好きである。
问8この文章で笔者が一番言いたいことは何か
1大人は子供にだまされやすい。
2子供をだますことはよくない。
3欲の深い人ほどだまされやすい。
4欲の深い人をだますことはよくない。
正解
问1-3 问2-1 问3-2 问4-2
问5-3 问6-4 问7-1 问8-3